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日野原重明さんのこと。壮絶な介護の中で見たひとすじの光り。

日の沈む直前の公園。ボルドー色のゆるやかな道が好き。
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先日、長いこと聖路加国際病院の医師をされておられた日野原重明さんが逝かれた。
享年105歳。
医師の傍ら、音楽活動などさまざまな社会奉仕をされ、人びとを勇気づけてくださった生涯だった。

経歴はさておき、私もその勇気を末席ながら人知れずいただいたひとり。

今からちょうど13年前、先生が92歳、私がやがて60歳になろうとする時のこと。
思いもよらない実母の介護に直面した時のことである。

認知症やカラダそのものの不具合もない元気な母が「パニック障害=不安障害」という得体の知れない病(やまい)になって母共々に苦しんでいた折、先生にお会いしたのだ。
当時お世話になっていた老人病院でこれ以上母を看ることは出来ないといわれ、転院してほしいなどの肩たたきなるものが連日続いてハテどうしたものか悩み抜いた末に、先生に直訴することを思いついたのだ。

当時は「社会的入院」という制度が健在で、自宅介護の困難な理由の中に、介護するものの健康が脅かされるという事態も考慮されていた(現在は廃止されている)。
ために、娘である私が自宅で介護することの困難を理由に、くだんの老人病院に入院することが出来たのだった。
昼夜正体不明の痛みや苦しさを訴え私を片時も離そうとしない母に、介護する私は歩行困難やノイローゼなどの症状が出始めていた。

                     ◎

歳をとってからのこころの病(やまい)である不安障害というものはすさまじく、長年抱えてきたマグマが爆発するかのようで、昼夜を問わず苦しさを訴える母に、病院も私も日々をただやり過ごし、向き合うしかなかった。
ただ、病院があの手この手を尽くしてくださる中、プラセボといってさまざまな疑似薬を作るなどして、時を凌いでくださったことはありがたく忘れることの出来ないことではあったけれど。

そんな折、原稿用紙8枚ほどに母と私の現状を書いて日野原先生に助けを求めたのだ。
あのとき、著名なうえ、ご多忙の先生にお会い出来るとほんとうに思っていたかはさだかでない。
が、”溺れる者藁をも掴む”ではないが、あのときの私には、「死」というものの誘惑さえあって、追いつめられたギリギリでの行為であったということだけは覚えている。

それから、ひと月ぐらいしてからだったろうか、先生に直訴したことさえ忘れかけた頃、お葉書をいただいたのだった。
「ルルドに行っていてお返事が遅くなりましたがご母堂のことでお会いしましょう」と。
そして、私を心配した娘と共に聖路加の先生のお部屋に出向きお会いすることが出来たのだった。

先生が、そのとき果たしてどのようなお話をされたかというと、「聖路加といってもいま、あなたのお母さんを助ける手立てはありません。うつ病の治療は確立されているけれど、不安障害というものの治療は確立されていません。また、この国の精神医療は遅れています。いまの病院で最善を尽くすように」ということだった。
せめて聖路加関連の病院への転院ができないものか切望していた私の思いは砕かれ、思いをお伝えすることさえ出来なかったのだった。

                      ◎
                     
それから4年、さらなる苦しみを母共々に味わったけれど、最期の時の母は穏やかで、私は生まれ変わったような新たな命をいただくことが出来た。

それもこれも、都合6年の介護の中で、やさいしいひと、やさしくないひと、たくさん出会い助けていただいたことにある中、日野原先生との出会いがいちばんの支えとなっていた気がする。

92歳にしてフランスの聖地ルルドの泉に行かれ、直後のご多忙の中を見ず知らずのひとりの病める者のために、時間を作ってくださったことにどれだけ力をいただいたことだろう。
あの日私をご覧になり、疲れ切ってはいても現状を受け入れ、耐えてゆける、と先生は確信されたにちがいない。
淡々とこの国の医療の内実を話してくださったことに力をいただいたのだ。

つい先日、闘病中の先生のご様子を放映するテレビを見た。
その折、付き添っておられた娘さんが、「延命措置をされますか?」と問われたのに、先生が首を横に振られたということをいっておられ、ああ、最後まで先生は先生らしくあられたのだと胸が熱くなった。
代表的な著作のひとつ、「生きかた上手」ではないけれど、最後まで生きかた上手であられたと。

あの時の母の歳に近づくに連れ、母と同じ病(やまい)にだけはかからぬよう、日々こころしてはいるけれど、命というものは奥深い。
日野原先生のご最後を見ても「天命を待つ」、というのが自然な気がする。

きょうここに、13年という時を経て、母の最晩年のことお話することが出来たこと、助けてくださったたくさんの方々や家族は元より、先生と母に感謝し、改めてこの命、大切にと思う。

先生のご冥福、こころよりお祈りいたします。


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2017-10-07 20:29 : その他 : コメント : 0 :
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Author:chizu
2011年東京から沖縄に移住しました。折にふれ、日々の暮らしのなかで気づいたことを書いています。

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